新天町を歩いていると、どこからか懐かしいいぐさの香りが。
覗いてみると、そこには作務衣姿で畳を作る職人の姿があった。
「代々続く畳屋さんなんだろう」と思い尋ねてみると、どうやらそうでは無いそうで・・・
この道50年。畳職人店主である豊田真三さんのこれまでとこれからに迫って行きます。
『とにかく宇部を出たかった』
新天町で生まれ新天町で育った豊田さんのご実家は畳屋さんではなく電気工事屋さん。
高校生まで宇部で過ごし、高校を卒業してからは1年浪人をして東京の大学へと進学。
「とにかく宇部から離れて生活をしてみたかった」と、当時の心境を笑顔を滲ませて話してくれた。
進学したのは外国語の学科で専攻はスペイン語。
高い競争率の中から合格したことが豊田さんの心を支える自信になっていた。
進学して1年経った頃、お父様が亡くなられたことで仕送りが止まってしまい、どうにか学費を工面しなければと選んだのが畳作りのアルバイトだった。
『バイクを起こせる体力が欲しかった』
畳を選んだ理由はふたつ。
ひとつは、重たい畳を作って運ぶことで強靭な体を作ること。
大型バイクの免許取得のために倒れたバイクを自力で起こせる必要があり、当時小柄だった豊田さんは畳の仕事を通じて強靭な体が手に入ると考えたそう。
もうひとつは、やっぱり畳が好きだったからとのこと。
実は浪人時代に宇部で畳作りのアルバイトを経験されていた豊田さん。
1枚仕上げると800円もらえるアルバイトで1日に20枚ほど仕上げていたそう。
腕の良さに目をつけたアルバイト先の親方がなかなか家に返してくれず、学費を稼ぎに行ったのに学校に通うことが難しくなってしまうという本末転倒な事態にも陥りつつもそれでも大学を卒業された豊田さんは、山口県に戻って高校の先生として2年ほど英語を教えることに。
『誇りは自分が踏みにじらなければ永遠である』
2年間の教員生活を経て、宇部に帰ってすぐに畳屋さんへ弟子入りして本気で畳職人としての道を歩み始める。
修行開始から、10年でようやく自分のお店を出すことを許された豊田さん。
その時から屋号は「豊田ていねい堂」。
お店は師匠が用意してくれ、そこで10年頑張りなさいと言われていた。
初めの頃はなかなか仕事がこず、生活が厳しく夜は塾のアルバイトをしながらお店を守り続けた。
10年が経ち、生まれ育った町である新天町にお店を構える。
錦を飾る気持ちで、新天町に帰って来ることは心からの悲願だった。
最初周囲の人たちからの視線は冷ややかだった。
代々続く畳屋ではなく、他の親方たちと戦っていかなければならない状況には多くの苦労があった。
それでも、心を支えてくれていたことがあった。
高い競争率の大学に合格したこと、青春時代に触れたBeatles音楽が教えてくれた人の目を気にしない自由や不平等、だから何よりも自分自身が中心でやってみたいことをやる。
この気持ちがあって、どんなに辛いことがあっても乗り越えて今日まで続けてきたんだと、笑顔で話してくれる豊田さん。
そして、大学生の頃に出会ったある神父さんが教えてくれた言葉を話してくれた。
「誇りは自分が踏みにじらなければ永遠である」
他人には自分の誇りを蔑ろにすることはできない。
自分だけが誇りを蔑ろにできてしまう。だから、自分に自信を持つ、自分は大丈夫だと暗示させることがものすごく大切だと話してくれた。
『丁寧な仕事』
1日に作れる畳は息子さんとふたりで6枚。
それ以上は作れない。
6枚である理由は「六畳一間」の部屋を基準に、1日で1部屋を仕上げないとその先の大工さんの仕事が進まないから。
無理をすればもっとたくさん作ることもできるが、それではいい仕上がりにはならない。
自分の仕事を見られた時に、中途半端な技量では申し訳が立たないから、丁寧な仕事をしている。
丁寧しか、武器はない。
屋号にも入れている「ていねい」は、豊田さん自信からは外すことのできない大切な言葉であり想いそのものだと、熱を帯びた言葉で伝えてくれた。
ここである道具を見せてくれた。
畳包丁と呼ばれるこの道具は定期的に研ぐ必要がある。
慌てていたり、焦ってしまうと上手く研げずとてももどかしい。
丸一日かけるつもりで研がなくては道具として使い物にはならない。
丁寧な仕事をする職人の姿を見せてくれた。
「心を入れるタイミングはいつですか?」と質問をしてみた。
少し考えられた後に返ってきた答えは「全工程です」と。
朝起きてからずっと畳のことを考えていて、完成した畳をトラックに積み込んで運んでいる間もずっとドキドキしていて、それは50年経った今でも変わらない。
格式のある和室として設けられる床間に使われる畳には「龍鬚(りゅうびん)」と呼ばれる飾りが施される。
より一層の集中力と神聖さが求められ、作業に入る前には手を洗い頭から水をかぶって身を潔める。
畳の縁を飾る紋様が切れてしまうと見た目以上に縁起が悪い。
畳屋として縁起の悪いことはできない。
これは師匠からの教えだそう。
丁寧な仕事は採寸から始まっていた。
実は畳は厳密に言うと四角形ではなくて台形か平行四辺形になっている。
これを聞いた時とても驚いて、理由を尋ねるとそもそも部屋が真四角では無いのだと教えてくださった。
そこにピッタリと収まる畳を作るためにはこの採寸作業が肝心となる。
最近では精密機器を使って採寸することが殆どになっているが、豊田さんは定規と紙を使った昔からの方法で採寸をしている。
10倍近く時間がかかるが、この方法を守っている。
「師匠からの教えだから」と。
『好きじゃ無いけど好き。そんな師匠だった』
畳の採寸はピッタリと畳を収めるためだけの作業ではない。
家の傾きや襖の位置から人の出入りを予測する。
畳の滑りやすい方向が襖のすぐ近くにあると滑って怪我をする恐れがあるから、しっかりと相談して伝えることで相手に寄り添う。
この姿勢こそがていねい堂らしいところじゃないかと豊田さんは語る。
職人はそこまで気にしなければならないと常に教えてくれたのが師匠だった。
大嫌いだけれど、尊敬できる師匠だから教えを大切に守り実践し続けている。
『宇部の最後の砦』
今、1200年続く畳作りの歴史がもしかしたら終わるかもしれない。
豊田さん自身が最後の砦になるかもしれない。
今は息子さんに畳作りを教えており、息子さん自ら選んで職人をされている。
豊田さんの師匠の流儀を伝えるためにも、今では少なくなった手縫いも教えているそう。
現在主流なのは機械での畳作りで、この機械が止まってしまっても畳が縫えるようにとの願いを込めて。
手縫の道具を身につけるその姿には、仕事への誇りと歴史が途絶えないようにとの願いが笑顔から滲んでいた。
『好きなことを続ける』
どこに行くにも作務衣姿だと話す豊田さん。
好きな生地や色の作務衣を作ってみたいと話してくれた。
作務衣姿の豊田さんを撮影している時に休みはあるのかと尋ねると、雨の時がお休みだと答えてくれた。
畳は雨に濡れてはいけないからその日だけはどうしても仕事ができないが、基本的には日曜日も祝日も関係なくお客さんに合わせて仕事をされるそう。
取材の合間に趣味でずっと続けられているドラム演奏の話をされ、「いい音が出せるようになったら聴きにきてね」と少年のような笑顔で話す姿は、好きな事をやり続けることへの誇りと挑戦することの面白さを真っ直ぐに教えてくれた。
畳の販売、張り替えのご相談はどなたでもお気軽に。
ホームページに詳しい記載があります。
店舗情報
店舗名 | 豊田ていねい堂 |
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住所 | 〒755-0029 山口県宇部市新天町2-2-17 宇部ハミングロード新天町内 |
営業時間 | 8:00~19:00 |
TEL | 0836-21-3731 ※時間外対応可能(営業電話はお控えください) |
HP | https://www.t-teinei-tatami.com |
取材日 | 2023年2月1日 |
※こちらの記事の内容は2023年2月27日現在の情報です。
記事は内容、金額等変更の可能性があります。
最新の情報についてはHP等でご確認、または、店舗等にお問い合わせください。